大相撲力士 1日の稽古内容

軍配

日本の国技の大相撲の力士は、本場所や地方巡業に出ていない時には、相撲部屋で1日を過ごしています。関取をはじめ幕下以下の力士たちも毎日稽古を行い、本場所で少しでも上の番付になれる様に技術を磨き体を鍛えています。

大抵の力士は朝7時から7時半頃に起床し、番付の低い者から順番に稽古を行っていきます。同じ階級の仲間同士で行い、時には上の番付の関取に力を付けてもらう事もあります。自分が相撲を取らない場合は、相手の取り方をしっかりと観察して勉強する事になります。

主な基本運動は、四股・鉄砲・股割り・すり足これらを時間をかけてじっくりと行います。四股は、両足を交互に高く持ち上げ、下す運動で重心の安定や足腰を鍛えます。鉄砲は、鉄砲柱に向かい両手と両足を交互に動かし、上腕を鍛え足の運びの修得にも繋がります。股割りは、両足をいっぱいに開き上半身を地面につけ、けがの予防にも繋がります。すり足は、足の裏を土俵から離さない様にし、足の運びの運動です。

大相撲では、ただ単に技を磨くだけでなく基本動作を繰り返す稽古を行う事で、強くなれるのです。

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大相撲力士 強靭な力を支える足

土俵

大相撲の力士は、強靭な足の力を武器にして小さな土俵で縦横無尽の活躍をすることで有名です。外掛けや二丁投げなどの大技を繰り出すためにも必要な部分です。さらに、横綱の場合には、土俵入りで迫り上がりを行う際にも所作が注目される部分です。

過去の力士の例では、初代若乃花の足の強さが際立っていました。仏壇返しの異名を持つ呼び戻しを繰り出すことができるのも、下半身のバネが強靭になっていたためです。初代若乃花の弟子となる貴ノ花も有名で、高見山や北の富士との対戦で見せた驚異的な粘りは今も大相撲ファンの間で語り継がれています。

強靭な足を鍛えるために、過去の力士たちは過酷な稽古を繰り返してきました。初代貴ノ花の場合も同様で、師匠の二子山親方の苛烈な指導によって鍛えられた経緯があります。逆の意味では、度重なるケガで悩まされることが多い部位でもありますが、厳しい稽古を繰り返してケガに強い肉体を作れる力士は優れています。

肉体と精神力を駆使 大相撲力士の凄さ

大相撲における力士とは、元々は強い人を意味していましたが、現在は相撲取りの呼称で知られています。どの力士も、普通の人達よりも体重があり体が大きいですが、ただ単純に太いだけではありません。

厳しい稽古で体を鍛え強靭な肉体を作り、頂点である横綱を目指し稽古に励みます。相撲取は武士道の精神に基づき発展してきた日本が世界に誇るスポーツです。形から入り礼に始まり礼に終わる事を重んじているので、ただ戦って終わりではありません。相手に礼を尽くす事を基本的な考えとし、相手に与える痛みを自ら経験して受け身になる事で、相手に与えるダメージも理解する必要があります。

大相撲は格闘技と言う方もいますが、相手を理解する心の鍛錬に非常に向いています。他にも上下関係や師弟関係を大事にし、肉体面でも限界まで自分の体をイジメ抜く必要があり、自身に負けない精神力が求められます。良く言われる、心技体は、様々なスポーツに使われますが大相撲に一番良く合う言葉かもしれません。

忍耐の強さで魅了した力士

はっけよい

これまでに活躍した大相撲力士の中には、忍耐を抜きにして語ることができない人が少なくありません。旭富士や琴桜のように、長い大関経験の中で苦労を重ねて、ついには横綱に昇進した例もあります。昭和の角聖とも称される双葉山は、戦時中の困難な時期に活躍し、前人未到の69連勝を達成したことで有名ですが、神々しい精神力は今でも大相撲ファンの語り草になっています。

38代横綱の照国は、双葉山時代の中で目立たない存在でしたが、忍耐を重ねて強くなり、力士生活の晩年には2場所連続優勝を成し遂げました。昭和の時代では、映画にもなった名寄岩の存在も大相撲の歴史で有名です。大関まで昇進した後には、ケガや病気の影響で番付を大きく下げましたが、2度の大関陥落後の1950年には9勝6敗の好成績で敢闘賞を受賞しました。

平成の時代になっても忍耐がある力士が活躍する状況が続いています。魁皇は我慢強く努力を重ねて、通算1047勝の記録や驚異的な大関在位記録を残しています。